ハンコ文化は時代に即し無いとか、海外でハンコは使わないという議論は昔からありましたが、本当にハンコ文化は不要なのか考えてみました。
ハンコ文化は本当に不要なのか記事を書く背景
そもそもこの記事を書くきっかけとなったのは、アメーバTVでひろゆきと議員が判子ってこのリモート時代に即さないんじゃないか?というバトルを見て、(その時の議論の内容は電子署名に関することだったので、今回の記事とはちょっと趣旨に反しますが・・・)お互い感情的だったり、前後関係の背景を無視してロジックに塗り固めて話している印象があり、きちんと記事にした方が良いと思い書くことにしました。
ハンコ文化は悪いことなのか?
そもそも、ハンコ文化は悪いことなんでしょうか?ハンコ文化が悪い理由として、朱肉を持ち歩かないといけない。ハンコを作るのが面倒、時代遅れ、世界はサイン文化というのが挙げられますが、正直それはハンコ文化が悪い理由になりません。どっちかというと個人的なわがままレベルの話です。朱肉を持ち歩かないといけない例についても、後でも話しますが、ハンコは印鑑という道具を使って署名を行う行為で、サインはペンを使って署名を行う行為です。そして、印鑑はそもそも手軽に使えないからこそ、重要な書類の署名に使うというのはセキュリティーの観点からも優秀な署名手段ではないでしょうか?なので、一般的に言われる判子が悪という理由は正直な話、あまり理由になっていません。
世界は署名文化であり、ハンコ文化は時代遅れというのは正しいのか?
これもよく言われることですが、確かに世界は署名文化であり、ハンコ文化は日本と台湾独自のものとなってしまいました。もともと、印鑑は中国の文化で日本はそれを輸入した形で使用しておりましたが、長きにわたって使用しております。
そもそも世界が〇〇しているから時代遅れという考察は正しいのでしょうか?例えば、世界がマリファナでストレスを改善しているならば、マリファナも世界的に使われればそれに従うべきなのでしょうか?世界がやっているというのはそもそも他人のアイデンティティーの奴隷になるような行為であると思います。日本は独自のアイデンティティーがあるならば、それに従うのが最も大事なのではないでしょうか?他の国がやっていることが客観的に見て正しく、自国のやっていることが明らかに間違っている場合は正すべきですが、客観的に間違っているわけでもない場合、変えない理由はないですが、変える理由も同時に存在しなくなります。
ハンコと署名のそもそもの目的は?
今までは、どちらかというと主観的な話が多かったですが、ここから客観的に話したいと思います。そもそも、ハンコと署名の目的は何かと考えてみましょう。両者とも「正式な契約を交わす」ことが大きな目的です。これについては、ハンコも署名も目的に反していないわけですから、ハンコを廃止する理由になりません。
続いて、使い方の違いですが、ハンコは押す、署名は書くことで契約を交わしますが、両者ともサインを残すという意味ではツールの違いだけで意味合いは変わりません。ハンコもインクを使いますし、サインもペンを使いそのペンはインクを使います。このことから両者はツールとして全く同じ役割を持っており、使い方が異なるだけに過ぎないからです。そう考えると、目的を達成するという点ではハンコも廃止する理由にはなりません。
ハンコ文化と署名文化のメリットデメリットを考えてみた
最後に実際にハンコと署名のメリットデメリットを考えてみましょう。表にしてみました。
ハンコ | サイン | |
携帯のしやすさ | 持ち歩ける | 持ち歩ける |
手軽さ | 世界に一つしかないので、代わりがない | 他のもので代用できる |
セキュリティー | 世界で一つしかないので、偽造が難しい | サインの癖などを真似すれば見た目などを同じにすることが可能 |
信頼性 | 高い精度で本人のものか確認可能 | 本人の癖を頼りにするので、精度高くサインした場合判断が難しい。また、100%一致するサインを毎回書くことも困難 |
費用 | 精度高いものを作ると高くなる | ペン一本あれば良い |
この中で、ハンコのデメリットとしては手軽さがないことと費用面ではないでしょうか?ただ、セキュリティー的な面や信頼性を考えてもサインがハンコより優れている点は費用面と手軽さ以外ありません。これらのことから、長年言われてきたハンコが時代遅れて悪というのもなんだか説得力がありません。また、そもそも大事な文章の署名に手軽さなんて必要なんでしょうか?日々の業務における意思表示で使うハンコは意味がないかもしれませんし、サインで良いかもしれませんが、重要書類には印鑑の方がむしろ不正利用の心配がなく良いと思います。
まとめ
いかがでしたか?ハンコ文化は否定されがちですが、このようにメリット&デメリットを考えるとハンコ文化を安易に否定するのは間違っているということがわかります。
ただ、もちろんハンコの目的などを念頭に入れて代わりの方法があるならばそれを試すのも手かもしれません。