航空機でマスクを拒否した男性について思ったこと

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韓国でマスクをしないことを注意されて切れて喧嘩になった話があり、人ごとのように考えていたが、

最近日本のニュースで飛行機でマスク着用を頑なに拒否した結果、強制的に別の空港で降ろされた男性がいた。

その後彼はツイッターアカウントを作り、自らの正当性を述べているが、

内容を見るからに結局わがままだったのだろうと推測される文章がいくつか見られた。

一人のわがままのために、何百人もの乗客の予定を狂わせたのだから、

相当のバッシングが来るだろうと思いきや、何人もの擁護者がいて呆れる始末だ。

ピーチのマスク着用要請は適切かどうかよりも、そのテリトリーに入ったら嫌でも従わないとダメだろう。

例えば、私は現在トルコに在住しているが、トルコでは良いレストランに行けばチップを払う必要がある。

日本にはチップの習慣がないから、頑なに払わないというわけにはいかないのだ(払わなくても良いがそれは今後日本人に対する印象を悪化させるのは間違い無いであろう)

これと同じように、ピーチが言っていることが正しいのか、間違っているかは置いておいて、ピーチがつけないとダメと言うならば、付けないといけないのだ。

海外に住んでいると、長く滞在しているのにたまに独自の理屈でその国のルールを破る日本人をよく見る。

その癖、「〇〇の国では~」とさもさもさ自分がその国の中心的存在のような振る舞いで、

新米在住者に対して講釈を垂れるから、たまったもんでは無い。

彼や彼を取り巻く連中もまさしくそんな感じであろう。

嫌われる勇気の勘違い解釈

以前嫌われる勇気という書籍が販売された。この本は瞬く間に売れ、多くの人の共感をかった。

私も本の内容を読んで大変感銘を受けたのを覚えている。

なお、読んでいない人のために書くと、この本は「相手の顔色を伺わないで自分に素直に生きていくことが唯一の幸せの道だ」ということを書いている。

これだけを読んで多くの人は、ルールも守らず、人の目を気にしないことが幸せになる方法と勘違いしてしまった。

確かにこの本の通りに解釈すればその通りだが、この本には続きがあり、

それが「幸せになる勇気」という本だ。

この本では、本当の幸せは結婚することということが結論なんだが、その前段階として社会の幸せを考えることが

本当の幸せと説いているのだ。

つまり、好き勝手に生きたとしてもそれは本当の幸せではない。

社会の幸福が自らの幸福になるよう行動して初めて幸せになるといているのだ。

確かに、自分も自分の感覚に任せて旅に出た時は楽しかったがやがて虚しくなった。

しかしその後、教会に出会い、人に施しや優しさを提供することで、本当に充実した日々を過ごせた。

人に優しくしたり助けることは自分をマイナスにする事ではなく

むしろ幸せのために必要だということを今の日本人は自覚しなければならない

(全員でないけどね)

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